散歩の理想と現実

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散歩の理想と現実

残暑厳しい日々が続いた。
散歩もできるだけしている。ただこの散歩が悩みのタネだ。
アクティブ犬、スキッパーキのサム。小さいのに力強い。散歩が楽しいから、どんどんどんどん先に行く?引っ張っても何しても、自由に散歩させるのがいいと言う事で、自由に散歩していた。

ある本には、
家の中で練習してほぼ脚測歩行できる様になってから散歩をする、
と言うモノも多かった。こんなに引っ張りで悩むなら、家の中で散歩の練習をしておけば良かったと後悔した。疑問があるスッキリしない状態で、何かをして失敗すればそのせいにしてしまう。だから後悔した。常に犬が寄り添って歩く、それが散歩のはずなのに…

中型犬ボクサーのジョンは、相手が子供であっても散歩は相手に合わせ、引っ張らず、道の端を歩き、言うことを聞いていた。
今思うと凄く賢い犬だった。誰が躾したのか不明なのだが、引っ張られるということは殆どなかった。たった一回、一度だけだが、ジョンの引きに耐えられず引きずられたことがあった。
それは散歩の帰り道に野良猫と遭遇した時のこと。猫と何かあったのだろう。猫の姿を見るやいなや追いかけた。抑えきれないもの凄いパワーで猫に突進した。距離的には5mもなかったが、その時普段温和しいジョンとは打って変わって、今まで見たことも無いボクサーのパワーの凄さと、全く言うことを効かなかった衝撃を今だに覚えている。

その頃飼っている犬といえば中型犬、大型犬が普通で、小型犬はあまり見なかった。
大きい犬は性格的に穏やかな様で、歩く姿もゆったりしている。そのせいか散歩風景はのんびりした感じだった。

それに比べ小型犬は、歩幅が狭いからシャカシャカ歩く。ちょこまかしている。小さな発電機と言われるだけあるスキッパーキのサムは、元気モリモリで一生懸命歩く。

スキッパーキのサムは、散歩の為外に出ると嬉しさのあまり興奮して引っ張る。
正し方も教えてもらってはいるが、全然効かない。未熟だから、正し方のタイミングもやり方もダメだったからだろう。

理想と違う。

そして理想と違うことよりも、躾が入っていないダメ犬だと思われるのではないのかと思って恥ずかしかった。
もとよりダメ犬ではなく、そうさせている飼い主が悪いのだが、その頃はただ、ただサムが引っ張る散歩が恥ずかしかった。

何もできないくせに、スキッパーキのサムには期待通りの反応を求めた。思いだけでは通じるわけがない。何でも興味がある、気になるお年頃のスキッパーキだから、当たり前の反応だ。
サムの見る外の世界、目の前には楽しいことばかり、だから興奮するんだよね?
サムのそのエネルギーをどうしたら良いのか加減がわからない。スキッパーキをコントロールできない。

そこで相談した。

そうしたら、引っ張りよりも社会性の方が気になると言われ、まだパピーで早いが預けた方が良いのではないのかと。引っ張りは直ぐ正す事は出来るけれど、社会性はそうはいかないと・・・
預けるなんて全く考えていなかったが、「社会性」というキーワードが効いた。

そして今になって思うのだが、あの時自由に散歩させていいと言った言葉の意味は、外の世界に興味を持たせ、楽しく明るく成長させるのに必要だったからではないのかと。
最初に言ってくれれば今まで悩まずにすんだのにー

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